Marketing Blog

2022.03.03

製造業のDX、まずは「マーケティング視点」を身に付けよ

東京大学大学院 工学系研究科  教授 森川 博之氏

語り手
東京大学大学院 工学系研究科
教授 森川 博之 氏

社会・経済環境の変化を背景に、日本の製造業には「モノづくり」から「コトづくり」へのシフトが求められています。その手段としてデジタル変革(DX)を掲げる企業が増加しているものの、その実現は容易ではありません。

顧客価値を追求し、隠れたニーズやイノベーションの種を見つけるためには、どのような考え方が求められるのでしょうか。顧客起点の変革を目指すために製造業各社に求められる視点ついて、東京大学大学院 工学系研究科の森川博之教授にお話を伺いました。

顧客視点を磨くために「マーケティング感覚」を持つべき

環境変化が著しい今、製造業にはリードタイムの短縮や人手不足といったさまざまな課題が散見されます。従来のプロダクトアウトの考え方だけでは厳しくなってきた製造業各社にはどのような経営戦略の変化や考え方のシフトが求められているのでしょうか?

森川氏 まず一つは「マーケティング感覚」を身につけることです。私たちのような技術者に「顧客視点」が足りないことは日本全体の課題ではないか、と思い、かつてマーケティングの勉強をしたことがあります。その時には、何か特別な方法論があるのではないか、と期待して勉強したんですね。

しかしながら、結論としてわかったことは「隠れたニーズを探すことが大切」という当たり前のことでした。そこでマーケティングを専門にしている先生にも聞いてみたところ、

「仰る通り、マーケティングは当たり前のことを学問にしているんです」と返されたことを覚えています。それを聞いて、とても気が楽になりました。 マーケティングというと難しい印象を受けるし、「専門の部署に任せれば良い」といった感覚もあります。しかし、製造や営業現場の人にもマーケティング感覚は必要なんです。「良いものを作れば売れる」という時代はすでに昔の話。これからは製造業界においても当たり前のように「マーケティングの視点を持つ」こと、つまり「顧客のニーズを探す」という感覚が求められるのだと感じています。

森川氏

かつて日本の製造業は、プロダクトアウトの側面が強かったと言われています。そこに顧客ニーズを汲みとるための視点を加えることが必要なのですね。

森川氏 そうですね。ただ、「マーケティング感覚」を身に着けることは重要ですが、全部ひとりでする必要はないと思っています。以前、「カスタマーサクセス」についても私なりに定義を明確にしたいと思い調べている中で出てきたのが、Google社のカスタマサーサクセスチームでリーダーをされていた方のブログ*1です。

*1. To Succeed at Customer Success, Hire Technology Laggards
(https://medium.com/to-succeed-at-customer-success-hire-technology/to-succeed-at-customer-success-hire-technology-laggards-f70fd78f71b8)

そこでは、カスタマサーサクセスチームの人材として、あえて「技術に疎い人」を採用する、と明言されていました。何故かというと「顧客に自然に共感できるから」というのです。「技術に疎い人」と一緒に顧客のニーズを深く探る。日本の製造業に足りない視点ではないかと思います。 技術者と非技術者が同じ土俵でフラットに議論できると、顧客にとっての真の価値に集中しやすくなる。これが実現できたならば、すごい組織文化だと思います。日本企業も本当の意味での多様性を考え、顧客に共感できる組織づくりを進める必要があるのではないでしょうか。

人材の多様性が「新たな気付き」を生む

顧客価値を追求するためには、組織自体を変えていく必要があるのでしょうか?

森川氏 そうですね。いくら経営者がDXやデジタル活用を進めようと号令をかけても、それだけではうまくいきません。何故ならば、本来は現場の人に気づいてもらわないといけないから。でも、現場ではデジタルの重要性になかなか気付けない。それは、現場の人はどうしてもルーチンワークの中で、固定観念や既成概念に囚われてしまうからなんです。

私が講演でお話しする際には、イギリスの某フィンテックベンチャーの動画をお見せしています。もしもイギリスのパブで“銀行の窓口のような対応”を行うとどうなるか、という面白い動画です。

お客さんがコーヒーを注文すると「番号札を取ってください」、自分の番が来ると「コーヒーの担当者を呼んできます」と言われ、待っている間にはアンケートを取らされ、支払いの段階ではコーヒー料金に加えて手数料まで取られます。当然お客さんは怒り出すので、そこでネタばらしです。

イギリスの某フィンテックベンチャー動画

出典元:イギリスの某フィンテックベンチャー動画
※上記掲載の動画につきましては、掲載元にてリンクが削除される場合がございますので、あらかじめご了承ください

そして、動画の最後には次のメッセージが写されます。

“You wouldn’t stand for this at your pub. Why stand for this at your bank?”(パブでは我慢できないのに、どうして銀行では我慢できるの?)

一杯のコーヒーを飲みたいだけなのに、お客さんは長い間待たされて、最後に手数料も取られました。このサービスや接客はおかしいと、傍から見れば誰もが気づくはず。しかし、サービスを提供する側は、日々当たり前のことになっているので気づかない、ということが表現されているのです。そして、ここで得られる「気づき」こそ、全てのデジタルを有効活用するための起点になると思います。

では、現場が気付ける確率を上げるにはどうすればいいか。その答えが「多様性」です。いろいろな人がいることで、気付きを得るためのきっかけが生まれてくるのです。 製造業の各社でも、総務や営業というように「製造現場の技術を全く知らない人」がいるはずです。そういった非技術者と技術者を混ぜてみることが、一つのきっかけになると思います。

いかに日常業務とは違う視点を取り込むか、が大事ということですね。

森川氏 その視点が日本は相対的に弱いんです。例えば、スマートシティについて議論をする場があるとしましょう。日本ではスーツを着た大人が議論していますが、デンマークでは小中学生も入れて議論しています。

もちろん小中学生を入れたからといって、すごいアイデアが出るわけではありません。一見遠回りにも見えるでしょう。しかし、そこにリソースをかけることで「気付きを得られる確率」が高まる。そこが重要だと思います。

森川氏

さらに言うと、いま話題の「デジタル人材」も、単独では価値を生み出せません。データサイエンスや深層学習、統計学がわかる人材だけでは、ビジネスの現場で何をどう変えればよいかわからないからです。

ここで何をすればよいかわかっているのは、ずばり「現場の人」。営業や企画設計、製造現場まで、それぞれの現場のことがわかっていないと、デジタルを導入しても前に進まないわけです。ですから、現場を含めた全員が「デジタル人材」になる必要があります。

ここでいう「デジタル人材」は、デジタルに対する一定の感覚を持ってさえいれば良いわけです。例えば、AIというと専門的なイメージを持たれるかもしれませんが、端的に言えば「モノやデータを分類するためのテクノロジー」です。AIを使った異常検知も「異常と正常の分類」、ディープラーニングを使った画像認識も「人どうしの顔」を分類しているに過ぎません。

このようにテクノロジーの要点を捉え、「AI=分類するためのテクノロジー」くらいの認識があれば、「製品を自動で分類するなら、AIを使おう」「AIを使うなら、詳しい人に聞こう」といったシンプルな判断ができます。このような感覚を持ったデジタル人材が増えると、新たな気付きを得る確率も高まっていくと思います。

現場の状況や課題を把握した人が、「テクノロジーの要点」を掴んだ上で判断することが大事なんですね。

森川氏 そうですね。それに加えて「テトリス型人材」も必要だと思います。

「テトリス型人材」とはどのような人材でしょうか?

森川氏 今の時代、それまではバラバラだった業務や役割がデジタルで繋がり始めています。それぞれがテトリスのブロックに例えるならば、「バラバラ状態のブロックをうまく繋げることができる人」が求められているんです。

例えば、社内に優秀なデータサイエンティストがいても、現場の課題に触れる機会がなければ、価値を生むことができません。そうした専門的な人材を現場に送り込んだとしても、一人で現場の課題を解決することは難しいでしょう。

こうした状況を打開するためにも、専門的な人材と現場の人材の隙間を埋めるような「テトリス型人材」が必要になります。マーケティングと製造業の現場も同じで、繋ぐ人がいないと距離がひらき過ぎます。だからこそ、隙間を埋めるために必要な人材などに予算を投入していかなければいけない時代なのだと感じています。

失敗から得た知見を活かせる体制づくりを

社会課題や顧客ニーズを捉えきれない企業には、人やノウハウが「うまく繋がっていない」「十分に共感できていない」といった課題があるのでしょうか。

森川氏 そうですね。そして今後は、これまで以上に「繋ぐ」「共感する」ための役割が求められます。そのため「共感力に長けた人」こそ、繋ぐ人として活躍できるのではないかと思っています。

さらに言うと、ビジネスの現場にデジタルを本格活用しようとしたとき、一番大切なのは「心の綺麗さ」だと思っています。ここでいう「綺麗さ」とは、「共感」するために必要なことです。「何かこの人のためになることをしたい」と考えることにも繋がります。

言い換えるならば「利己」ではなくて「利他」の精神ですね。精神論と言われてしまうかもしれませんが、デジタル時代にこそ重要な考え方だと思います。「自分だけが良ければいい」では、人と人は繋がりませんからね。

DXやデジタルの時代には、これまで以上にいろいろな人材が役割分担をしながら取り組むことが求められるわけですね。

森川氏 そもそも論で言うと、日本の製造業は「技術にかけるリソース」が相対的に多すぎると思います。外国企業に比べた時も、製造業がマーケティングにかける予算は相対的に少ないわけです。ですから、技術や生産以外の周辺部分の人材にもっとリソースを投入していく必要があると思いますね。

これまでの製造業においては、技術やツールに投資してきたからうまくいっていた、という成功体験があると思います。そこを切り替えるためには何が必要でしょうか?

森川氏 残念ながら、「これをやればいい」という正解はありません。今は経営者にも「デジタルを活用しないといけない」という感覚は浸透してきているので、顧客に寄り添う姿勢や取り組みをいかにデジタルと掛け合わせるか、が重要ではないでしょうか。

例えば、私は以前、水田の見回りを遠隔から行える「水田センサー」に関わったことがあります。「これは絶対に良い」と思っていたにも関わらず、事業としては厳しかったです。テクノロジーがあってもビジネスにならなかったのは、顧客が求める水準よりも高価だったからなんですね。

しかし、この失敗や気付きが成果になります。実際にやってみて、顧客に対峙しないとわからない。失敗することで知見を得て、次に結びつける。そういったことをフットワーク軽くやっていかないといけない時代です。

森川氏

水田センサーの例は、顧客理解が不足していたとも言い換えられます。試作段階でお客さんが「これ良いね」と言ってくれても、それは表面上だけかもしれません。実は、きちんと顧客に寄り添っていなかった、マーケティングの視点が足りていなかった、という気づきが得られました。

顧客のニーズを探すこと、顧客に共感することが求められていたわけですね。

森川氏 製造業を始めとして、多くの人に「マーケティングは難しいものじゃない」と知ってほしいですね。顧客に共感する、そのためのデータを集める。これだけの認識でも日々の取り組みは変わってくるはずです。

逆に、マーケティングの役割を担う部門の人にも技術の現場に近づいてもらって、お互いの現場を知ることが成功へのステップになると思います。

製造業に限らず、どの業界にも共通していますが、今は「正解がない時代」です。だからこそ、マーケティング感覚を身につけたり、人材を混ぜ合わせてみたりして、いろいろな失敗を重ねること。その中で気づきを得ていくことが、顧客のニーズを捉えることに繋がります。